「すっかり、遅くなっちゃったね」
「未稀さん、駅から家まで、ひとりで大丈夫ですか?」
「なに言ってるのよ。平気、平気」
未稀さんの花柄のスカートがふわりと動いて、駅のホームに降り立つ。
里見の鼻先を、秘密の匂いが掠めたような気がする。
「またね」
笑顔で、小さく手を振る未稀さんをホームに残して、里見の乗った電車は再び走り始めた。
またね、か。
それはさあ、和之兄さんに勉強を教えてもらう日に、また会いましょう。っていうことだよね?
今日の、あの公園での出来事を、また今度......っていう意味じゃないんだよね。
未稀さんの、とっても普通な態度に、里見はうちのめされていた。
次の水曜日、いつものように和之兄さんの家に行く。
未稀さんと顔を合わせるのが、うしろめたいような恥ずかしいような、複雑な気持ちを里見は抱えていた。
それなのに、やっぱり未稀さんは、いつものとおりの未稀さんだった。
「ごめんねー、和之さんからさっき電話があって、今日は遅くなるから勉強は明日にしてくれって」
「ええっ、いまさら言われても、もう来ちゃったじゃないですか」
「うーん、だってえ、ほんとにさっき電話があったばっかりなんだもん」
里見は和之兄さんのマネをして、しかたがないなあ、という表情を作ってみせた。
「ぷっ......なに、その顔」
「なにって」
「子供がオシッコ我慢してるみたいな、情けない顔してるよ」
「お、おしっこ、じゃないです」
「なんで、そんなに赤くなってるの?」
からかわれてるってことはわかってたけど、里見は、そんなにイヤな気はしなかった。
「夕飯、食べて行ってよね」
「でも、和之兄さん、遅いんでしょう?」
「そうなのよ。せっかく作った三人分の食事がもったいないから、ちゃんと食べて帰ってね」
「はい、そうします」
トマトソースのロールキャベツは、ごく普通のロールキャベツだった。
未稀さんの料理にしては、これはとても珍しいことだ。
「おいしい?」
「はい、すごく普通においしいです」
「それ、どういう意味なの?」
「あ、いや、その......ひょっとして、キャベツのなかから思いがけないものが出てくるのかと思ったんだけど、普通にひき肉でした」
「ほんっとは、なにが言いたいのかなあ」
「その、えっと、つまりぃ、おいしいってことです」
未稀さんとふたりきりの食卓で、緊張してる里見は、なんとか緊張を隠そうとしていた。
「ごちそうさまでした。それじゃあ、帰ります」
「食べたらすぐに帰るなんて、失礼よ」
「でも......」
このまま、いつまでもふたりきりでいることには耐えられないよ、未稀さん。
先週の、あの公園でのこと、忘れたわけじゃないんでしょう?
里見は、毎日思い出しては、ひとりで......。
「和之さん、帰りが遅くなるって言ったでしょ」
ど、どういう意味ですか?
「続き、しよ」
「つ、つ、つづきって......」
未稀さんの手に引っ張られて、ダイニングの椅子から立ち上がる。
引かれるままに、リビングのソファに移動して並んで座った里見と未稀さん。
未稀さんの手は、里見の腿に置かれ、潤んだ瞳が里見の目をみつめる。
「しょ、未稀さん、待ってください」
「なに?」
「里見、こ、こんなの、困ります」
「男らしくないわねえ、別になんにも困らないよ」
「だって、未稀さんは和之兄さんの奥さんで」
「それが、なに?」